「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成30年1月〜】

 掲載号等  【第41号】:平成2年6月発行 

霊雲院住職 則竹秀南老師

「求めても得難い因縁を頂く」
 
    
 

父や無文老大師から 求めても得難い因縁を頂く
 
 
幼少期と戦争
 私は昭和十二年二人兄弟の長男として台湾で生まれました。その弟も私が五才の時に一才半で亡くなりました。
父は臨済宗の和尚で台湾臨済寺開山梅山元秀老師のお伴で台湾に渡りましたが、最初に台湾に渡る際に父は何度も一緒に私を連れて行けるよう老師に懇願したそうですが、未だ子供だからと断られたそうです。
 台湾で父は臨済寺の副司寮みたいなことをやっていたようです。台南の町を毎日托鉢しその浄財を新地建立の資金にして、達麿寺という寺を建てました。私が生まれたのは、この寺が完成する前でした。多分骨を埋める覚悟で作った小さな庵で生まれたかも知れません。この寺の広さはそこそこあり池も山もありました。しかし小さい時の記憶は物を大きく見ていますから台湾時代の思い出はあてになりません。
 敗戦で和尚と私は日本に引揚げ、兵庫県姫路市の近くの願成寺という寺に住職し、ここで中学・高校時代を過ごしました。
 
 
青年期と父の慈愛
 花園大学に入学することになった折、父は「ここまで育ててきたので後は無文老大師にお願いしてお弟子になってやってみてはどうか」と言われた。親の言うことでしたからそのようにやらせて頂きます、ということになり受験後3月23日にはじめて霊雲院に寄せてもらいました。相見の際、和尚が私の横で「この子はもう私の子ではありません。すべて老大師に差上げましたから煮て食おうがどんなにしてもかまいません」と言ってくれました。また帰り際に「お前と私は縁があってないようなものだ。ここの子供だから老大師の言うことは絶対に聞かねばなりません」とも言って帰って行きました。
 当時、霊雲院には遷化されましたが交野市宜春院住職の隆サンという方がおられ副司寮をなさっておられ、父は「副司さんは老大師の元ですべてを預ってやっているから、副司さんの言うことはそのまま無文老大師の言葉であるから聞かねばいけません」とも言ってくれました。こんな父の慈愛が無文老大師の縁を頂くことになりました。
 
 
無文老師との結縁
老大師は私に「得度式をしなければいかん」と言って下さいました。表面上は願成寺の弟子のままでしたがこれは大変有難いお言葉でした。方丈で得度式をやらせてもらった後、今でも忘れません。「私の後をついてこい」と言われるのです。どこに行くのか不安でしたが先頭を速足で歩かれる後をついて竜安寺の所にある霊雲院開祖のお墓に行きました。
 川の上流から水が自然に流れる如くすばらしく、求めても得がたい因縁でありました。又、老大師の一挙手一投足すべてを学ばせて頂いたことは望外の幸わせと申し上げることができるでしょう。
 老大師は宗旨にのっとった生き方をされた禅僧で これはゆるどないものであります。私たちは到底こうした境地にまでいけませんが、不二の法門を行じ相手の気持ちになれば悲しみもよく判る。苦難も理解出来ます。これになりきられたということでありますから、現代社会の人々の気持ちを見る眼力には凄まじいものがあった。だから、臨機応変にあらゆる所で説法なされたのです。
又、学生の気持ちも深く理解されていましたから、何に困っているかをよく知っておられました。
 
 

改善すべきはあらため常に、仏教徙としての自覚を寺院で工夫する教化を
 
Q:人間の尊厳と平等を説く仏教を信奉し布教する宗門人にとって。あってはならないことが起こり、厳しい指摘を受けていますがどう見てゆくべきかお示し下さい。
 釈尊は皆が平等であるということを根源的な所で説いておられます。当時の印度の社会において、人々は平等といわれた。これは大変なことで高らかに人間宣言をされたのです。今日の宗門人一人一人が厳しく原点に帰り誤りは率直に謝ってゆかねばなりません。私共より世間の方々のほうが懸命になさっており大いに学ばせていただかなければなりません。
 釈尊の御心をもう一度確認し、それぞれの立場で「八正道」を行じて活動していただかねばなりません。なかなか行じ難きことです。しかし、すばらしい八正道という教えを依り所として宗門人は最大限の努力が払わなければなりません。
 
 
Q:生死という根本問題を現代に通用する仕方で説くにはどうしたらよいでしょう。
 若いころは死というものはあまり考えません。子供のころもそうです。が、一つだけ考えさせられたことがあります。弟の葬式の様子や収骨の状態を覚えているのです。よほどショックだったに違いありません。母が収骨時、箸で二人でしなければいけないと教えられたことを覚えています。多分一人でやってはいけないと叱られたと思います。このように死というものを身近で感じることが大切なことです。それによって生きることの尊さを教わるのですから、生死を別物と考える誤ちは克服され生きることによってまた死を学びます。
 
 
Q生命(いのち)をめぐるテーマが取り上げられ、心のケアーを求められる現代、青年にできることは。
 老人宅を廻り声をかけてあげることが和尚として大切なことです。説法は大変ですが顔を見せて励ましてあげることが一番です。確かに僧侶が尋ねてゆくと、お迎えがくるというイメージがありますが、これをなくしてゆく努力が青年僧に求められる尊い行です。
 住職は臨終の際には立会ってあげ、来て欲しい、最後の声を聞かせて欲しい、と要請がくるように精進することが説法(以身説法)だと思います。
 
 
Q:法輪と食輪について
 私の自坊は檀家が七、八軒でした。皆が貧しい時代では、子供でもこれが当り前と直視していましたので贅沢は思いませんでした。豊かな時代に子供に我慢せよとは言えないので問題はより重大です。やはり、仏飯を頂いておるということをはっきり自覚せねばなりません。
 
 
Q:授戒の意味もよく判る。各寺で二、三人でやれる布薩会を
 各寺で「布薩会」をやっていただきたい。授戒会も大切ですが授戒会の下地を作る為にも必要です。布薩会は、比丘・比丘尼・在家の人々が反省をして、仏・法・僧の三宝に帰依し仏教徒としての自覚を年一回確認する為に行われたものです。簡単なことで住職和尚と二人位の加担でやれます。
 懺悔文、三帰戒をお唱えしてやりますが、このお経は葬儀だけ諷まれるものでは決してありません。法事の折にも、今迄の内容を軌道修正してやっております。これはスリランカに行った時やっていたものをヒントにした訳です。こういう布薩会で下地を作った上で、お授戒をやれば戒徒の方にも意義深いものになり、理解をともなったすばらしい授戒になります。