「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成29年12月〜】

 掲載号等  【第40号】:平成2年4月発行 

黄檗宗 万福僧堂師家 仙石泰山老師

「功を焦らず黙々と」
 
    
 


○出家の動機
 祖母の弟に当る守興禅という人が黄檗宗の住職でした。両親が早く別れたので、数えで七つの時からそこに引きとられて育てられました。小さい時はやんちゃで、さすがの師匠も「あの子だけは坊さんにしそこのうた」というような、いたずらっ子でした。ここでは師匠の言うことを聞かないものですから、ずい分叱られたものです。仏様を拝んだり、お経を誦むのが嫌いだと言う者を、お仏飯で育てる訳にはいかないと言われ、それが原因で、飯ぐらいは一人で食べてみせると、軍隊に志願しました。
 敗戦の時は韓国にいて寺に帰る気がありません。満州へ行って馬賊になると、軍人に固執したのですが、全員が帰国した方が良いというので、しかたがなく帰ってきました。寺から逃げようとして結局逃げられないのはその人その人に与えられた業のようなものがあるのではと思い、ここへ掛搭したのが昭和二十一年でした。
 
 
○師匠
 師匠は祖母の弟ということで孫と爺さんのような関係でした。若い時はずい分厳しかった人らしいのですが、さすがに年令が開いていると、少し甘いところが出るものです。こちらもそれにつけ込みまして悪戯小憎の代表のようなものでした。特徴のない、いわゆる昔の伝統を常に護るという人で口の上手な人ではなかったようです。自分の子もいたのですが、何人か育てた弟子は戦死したりして、結局三人が僧侶に成っています。
 
 
○悩むのは若さの特権
 親子というのは親がいくら言っても言うことは聞かず、右と言えばすぐ左を向いたりと、反対のことをします。しかし、これはこれで良く、親が亡くなって、いなくなると、親や師匠のしていた通りのことをいつの間にかするようになるものです。自分かその道を歩いてみて、親の年令に成ると別るようになります。手取り足取り、口やかましく言葉で言っても、その通りするものではありません。若いうちは才ばしり、親の言うことがまどろっこしくて仕方がない「こんな坊主ばかり居ると、仏法が滅んでしまうぞ」ぐらいの意気込みがどうしても若い間はるものです。今のままの僧侶の態度や教団り方を見て、これて良いと言うのでは困ります。やはり反発して、このままで良いのだろうか。どこか狂っておりはせんかと言って悩むことが若さの特権です。
 ですから初めから坊さんとはこういうものだ、これで良いというのでは困ります。二十代三十代は「諸行無常」という言は知っていても、実感ではわかりませんから、人生というものを脚下に感ずることが無く、そこであれもこれも気に入らん、どうしたら良いかと悩みます。その悩むことによってだんだんと篩にかけられて整理され、自分の坐る場所ややることがわかってくる。それが五十代六十代になると、仏教・禅という長い歴史の中での自分の持ち時間がどのくらい僅かなものであるかというごとに気がつきます。そこから次の世代に渡していかなくてはならないことや、どうすることが最善かということが出てきます。
 何でもそうでしょうが、それぞれの道に努力して歩んでいる人はそれなりの味わいがあり、学ぶべきものがあります。
 
 
○黄檗の家風
 黄檗の特色というのは、渡って来で三百年余りですが、非常に大陸的で、わりとおっとりしていて、あまり細かいことをごちゃごちゃ言わない感じがします。
 僧堂生活は一般の生活よりはよほど厳しいものですから。それをしっかりやってきたということは、本で読んだ知識と違います。それぞれの寺に帰って、その寺に合わせてやっていく上において、やってきた実績が生きてきます。僧堂期間が今の人は短かいですから。一応は僧堂の家風を身体で憶え、末端の技術的なことよりも、托鉢・作務を身につけることが大切です。
 寺について言えば、寺を護っていくほんの一時期だけ、この寺をあずかっているのだというような気持ちがだんだん抜けていっているように思います。いわゆる世渡りに忙しくなって、寺院が企業化して、どんどん派手になり、お金が入ってくるとその価値がわからなくなってしまうのです。「布施と言うは貪らざるなり」で有るからといって、在家の人がうらやむような贅沢はしないという気持ちが大事です。やはり基本がしっかりしないといけません。世間に押し流されてしまうことは恐ろしいことです。これは逆の話ですが昔の言葉に、「坊さんと芸妓は金の価値を知らせたらあかん」というのがあります。本来は。百円も千円も百万円もお布施は同じように有り雑とうと言う気持ちで受けるということで、価値を知らせない育て方をしないと人間が卑しくなると言われています。坊さんとしての基本姿勢を教え込みませんと、適当なところで妥協してしまうことが出てきます。
 
 
○托鉢
 托鉢はなんといっても、雲水の一番の基本です。僧堂をひく時は二年三年は修行のつもりで何時でも托鉢をしますと言いますが、寺に帰るとちょっといいかっこうをして生きようと思うから難かしくなります。いよいよなら托鉢をして生きてゆこうというところまで坐わり込めば、みな腹が坐るのですが。
 雲水と住職とでは別でも、その精神だけは常に持ち続け。各寺院で各々のやり方を実行することです。
 
 
○社会との関わり(ホスピスについて)
 色々な社会問題は、あまりそちらの方へ重点を置き過ると僧侶のすることではなくなってきます。問題は昔のように僧侶が信頼される立場にはなく、重んじられるだけの内容が乏しくなった今日。社会より軽蔑の眼で見られないよう、我々は常に反省と努力が必要です。又、いくら軽蔑されてもかまわないが、そこには「我道を行く」という信念がなければなりません。せっかく仏縁があって仏法を学び得たんだ、仏法の中で生きているんだという歓びの生活をしなければいけません。
 おのずから信者の人達の死に臨んで、「どうか和尚さんを呼んで下さい」と。一言でもお話を聞いて息を引き取りたいという雰囲気にこちらを高めていかないといけない。向こうから呼ばれても、まわりの人達に「縁起が悪い」と言われるようでは困ります。社会にそのような印象を与えているところがありますが、たとえ病院へ行って坊主が来たと舌うちされようと、堂々と出来るような雰囲気を我々僧侶が作っていかなければならないと言うことです。並大底のことではないですが、地道にこつこつとやっていけば、いずれ理解されるでしょう。
 世間から褒められようとか、認められようとか思わず、僧侶としてこうすることが大事であると考えたのなら、何も遠慮することはないので、当って砕けろで当らなければなりません。それも功を焦らず、出来なければ次の代、又その次の代と最初の人がやり始めたことを引きついでやっていく人々が次々と出て来てくれることが理想で、根気のいることです。