「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成29年12月〜】

 掲載号等  【第39号】:平成2年1月発行 

大分市萬寿僧堂師家西尾宗滴老師

「祖師の心にたち還れ 〜以身説法の心〜」
 
    
 

○ご出家の動機は?
 私は、島根県平田市の農村の出身で萬寿寺の先々住奥大節老師と伯父・甥の関係でありました。そのご縁で、昭和十年の九月、当時小学校三年生の二学期ぐらいだったと思います。老師から「坊さんにならんか」と言われて何となく萬寿寺に弟子入りしました。特別に深い動機があったわけではありませんでした。「ご縁に随って」ということでしょう。
 軍国主義に加担したようで申し訳けないのですが、私も一年三ヵ月ほど軍隊生活をさせて頂きました。結果的には、その体験があまり病気もせずにこられた身体をつくっていただいたことになりました。有難いことと思っております。
 その後、復員してまいりまして翌年の昭和二十一年から伊深の正眼僧堂へ掛塔いたしました。しかし、そもそも僧堂の弟子でもあり、授業師である奧大節老師と伯父・甥の関係ということがあり、私が寺をもって一般の和尚さん方のような生活をするなどということは全然許してもらえませんでした。結果的には永く僧堂で修行させていただくことが出来ました。師匠との血縁などのご縁がなかったら、私も一般のお寺に住職していたと思うと、これはこれでまた有難いご縁であったと感謝しています。
 あまり永すぎて申し上げるのも恥しいようですが、五年間の副住職を経て萬寿寺に晋山致しましたのが昭和五十年でした。通算すると約二十五年ほど雲水として僧堂に籍をおかせていただいたことになります。
 師匠とのご縁もそうですが、母も偉かったと思います。私が復員して最初に島根の実家へ帰りました。そのとき私は母親が「もう寺へは帰らずに還俗せよ」と言うのではないかと心配しておりました。しかし、逆に母から「あまり永く家にいると里心がついて坊さんになるのがイヤになるといけないから早く寺に帰れ」と言われました。それで、実家には二、二日おりましただけで萬寿寺に帰りました。そんなことも今日の私がある一つの要因であろうと思っております。
 
 
○長い雲水生活での想い出は?
 伊深におりました頃、私の衣はボロボロでつぎはぎだらけでした。それで、郷里に小包で送りまして、繕ってくれと頼みましたら「出家して何年にもなるのにまだこんな衣を着ておらないかんのか」と言われました。国元から「もういいかげんにせんか」というような嘆きというか、苦情というかそんな手紙をもらった覚えがあります。しかし、寺をもつなどということは師匠が絶対に許しませんでした。雲水生活をしながら、この修行もいつまで続くことだろうと思いました。時には情けないと思うようなことも何回かあったように記憶しております。
 
 
○軍隊生活などを通じて、死を身近にお感じになられましたか
 身近に考えなければいかんのですが………軍隊に行ったということは、やはり戦争ですから中には特攻隊で死んでいったものもおりまして、当時は誰でも死ぬもんだと考えておりました。それもあまり深刻なものではなくて、死に直面するようなことがあろうかといったようなのん気な気持ちで、兵隊時代を過ごしたように思います。
 
 
○修行を貫かれた一番の原動力は?
 小学校三年生の頃から弟子入りと同時に僧堂生活に入りました。「三つ子の魂百まで」と申しますが、知らず知らずわからないなりに老師の提唱を聴いたり、雲水が托鉢に出る姿を見たりといった雰囲気の中で育ちました。理屈は解りませんが、自然にそういう気持ちになったのだと思います。師匠が僧堂の師家ということでも自然に感化を受けました。師匠が修行をしておるということを子供なりに何となく見ていて、師匠を見習わなくてはいけないという気持ちがありました。そんな経験から、子供が物心ついてからの雛僧教育の徹底は、非常に大切なことだと思います。
 
 
○居士からの出家者に将来宗門をしょって立つ逸材が
 雲水によっては一概に決められませんでしょうが、最近は、半年、一年位で自坊に帰るという傾向の雲水が多いようです。経済的な問題もあるのでしょう。早く僧堂を出て勤めに出るようなこともあるようです。師匠と親子ではなかなか「もう一度行ってこい!」というようなことも言いにくいのでしょうか。むしろ羅児ではなく、例えば会社を退職して居士から出家するような願心の強い人が、いずれ宗門を背負って立つような人になるのではないかという気がいたしております。
 
 
○今の僧堂・寺のあり方について
 現代の時流からあまりかけ離れてもいけないのでしょうが、かといってあまり便利にばかり頼らずに禅寺の枯淡な生活を基本にした生活をすることが大切ではないでしょうか。例えば妙心寺の開山禅師は自ら除草作務をしておられました。「一日不作、一日不食」とでも申しましょうか、いわゆる祖師の心にたち還って以身説法の心が大切です。自ら汗水流して骨身を惜しまず働く姿が一般の人に感銘を与え、世間もそういう僧侶の姿に頭を下げるのではないでしょうか。それと同時に、社会福祉や自治会への協力など地域社会とのかかわりも忘れてはならないと思います。
 
 
○坐禅を忘れたら禅僧ではない。
 境内掃除や除草作務などの労働と並行して禅僧として一番しなければならないのは、やはり坐禅でありましょう。坐禅を忘れたらもうすでに禅僧ではないといってもいいでしょう。萬寿寺でも大衆禅堂として、看護学校や色々な会社の研修会などの申し込みがありましたら、決して断ることなく喜んで受けさせていただいております。雲水たちもよくやってくれておりますし、先方にも大変ありがたがっていただいております。
 それぞれのお寺で身近な人に呼びかけて坐禅会などをなさる。自ら皆と一緒に坐禅をする機会をつくっていくことから始め、ご縁があれば、なるべくお話をしてあげることが禅僧のつとめでもあろうと思います。
 おかげさまで私は還暦をすぎた今日でも、体力は雲水時代とほとんど変わりません。清掃も托鉢も雲水にかえった気持ちで一緒にやるのが楽しみで、汗をかくのが壮快な毎日を送らせていただいております。むしろ僧堂歴の長さや新しいものをつくったり、新しいことをするよりも、祖師の心にかえって雲水時代の気持ちを忘れないことが、伝統を守ることと同様に大切なことであると思います。
 
 
○今後の青年僧に
 三惚れと申しまして、一に寺に惚れ、二に檀用に惚れ、三に協力者に惚れることをおすすめいたします。