「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成29年11月〜】

 掲載号等  【第38号】:平成元年10月発行 

黄檗宗管長 奥田行朗猊下

「社会の期待に答える人材養成を」
 
    
 


○宗門発展の為には
 黄檗宗は既成宗教の中では一番新しく、比較的寺院数や檀信徒数も少なく、加えて独特な宗風と共にお経も中国の発音で読むので、一般の方々にはなじみが薄いようです。しかし、最近では禅ブームと云うことも手伝って、禅浄混合の宗風や異国的な声明に魅かれる方も少なくありません。
 そこで黄檗の中国より伝播した文化がまだまだ多く知られないままでありますので、これらの布教教化等によって、一層の宗門の発展を期していくのも一つの方法だと思っています。
 それには何としても人材を養成していかなければならない、僧堂も時代に合った僧堂教育というものを考えなければならないと思います。
 
 
○人材養成
 人材養成の方途として黄檗では夏期講習を通じ、毎年夏に十日間梵唄講習を中心に講習会を開いています。希望参加ですが、近年六十名から九十名程の参加者がありそれも年々増えて居ります。年令は問わず、梵唄の上達の程度に合わせて六班に分かれて行なっています。子供達の中には梵唄が達者で皆から褒められるので、夏休みがくるのを楽しみにしてくる者もおります。黄柴山に行くことが、夏どこかへ泳ぎに行くより楽しみだという子供達がでてきているということはたいへん力強いことだと思います。
 当初は梵唄講習でしたが、一日、二、三時間の学科を組入れ、生活も僧堂に準じた生活を行なうということで総合的な徒弟教育をめざして行なっています。
 
 
○普茶料理の心を現代に
 檀家の方々も一般の方々も来山されますと必らず普茶料理を所望されますが、単にグルメで会食されるのではなくて、普茶料理の精神を皆さんに御理解いただきたい。普茶料理のあり方は、物を一つも無駄にしないという精神が流れていますし、その精神にのっとっての作法があります。四人一卓の和という禅の味を味わっていただきたい。我々は食事の前に必らず合掌をしていただきますが、拝み合う心というものが和の原点になろうかと思います。その心を料理を通して味わっていただきたいのです。
 
 
○個人の特色を生かした布教を
 布教といっても、それぞれの仏事や法要に於てだけではないでしょう。たとえ兼職しなければならない寺院や、お経や法話があまり達者でない方々でも、たとえば医学部をでているとか、他の技術を持った方々も多くおられますでしょうから。自分は和尚だという自覚さえあれば、それぞれの技術を生かした社会への奉仕活動ができると思います。個人の特色を生かした布教方法をそれぞれみいだしていけば、布教の幅も広がりますし、生きた布教につながるのではないでしょうか。
 
 
○指導とは単に教えるのではなく相手に自覚を促させること
 私か保護観察をした一人の子がありました。三年間、月に三回会っていました。その子は三年間、何もしゃべりません、私もお説教がましいことはひとこともいいませんでした。三年間の最後の日にその子は私に「人が人を変えることはできません」といいました。その時、私はいったい何の為に私のところへ来て居たのだと反問してやりたかった程でした。いったい何の為に保護司というものがあるのだろうとも思いました。しかし、その子は今、立派に立ち直ってクリーニング店を経営しています。
 結局、当人がその気にならなければいけない。自分で自分を直そうと、正しい道へ行こうと思っているんだというものを持たなければいけません。自分というものを大切にして、自分というものを知って更生をしていくものだと理解しました。
 くどくどお説教など言わないでよかったと今、思っています。人が人を変えられるかというと教育も何も必要ないように誤解される恐れがありますが、結局指導者と指導される者という上下関係だけではいけないということでしょうか。相手をよく理解し、指導する反面、自分も又相手から観られているという受け取り方をしなければいけない。お互いに教え、教えられる交流を持つことが必要だと思います。これはあらゆる対人関係に必要なことです。メンタルなものを持って、相手のメンタルな部分に訴ったえていく、生きているのではなく生かされているということを自覚させることが重要なことです。そこに行動の面でも違った面がでてくると感じています。
 
 
○家庭の機能の低下
 近年、社会の仕組みの中で家庭の機能が薄れてきています。精神教育の原点は家庭だといわれておりますが、今、家庭の味を味わうという時間がどれだけあるでしょうか。報道社会の中で、子供達はテレビを見ている時間と、家庭で家族と話す時間どちらが多いでしょうか。かなりの時間がマスコミに対する時間としてさかれていると思います。そこに家庭の機能が薄れてきた原因の一つがあるのではないかと思います。やはり現代社会のあり方をも考えなければいけない。これは我々の一つの教化活動の仕事でもあろうかと思います。
 
 
○オール仏教の宗教教育を考える機関がほしい
 各宗派でも学校を経営され、情操教育をされている。それは一つの方法ですが各宗派がお互いに協力して宗教教育を考える機関がほしいですね。社会には経団連、商工会議所等大きな指導力を持った団体があります。我々の団体にあってのそれは全日本仏教会にあたりましょうか。この全日仏でそれぞれの宗派の方々が協力し合って一つの機関を作っている訳であります。宗派を問わず仏教の教化活動にのりだし、社会から期待される活動をする機関の増強が望まれるところですが、仲々むずかしい問題のようです。
  
 
○衣をみる目を変えさせなければ我々の発展はない
 衣を着た方が病院へお見舞いに行くと、どうも誰かが死んだのではないかととられる。それでやはり洋服を着て行かざるを得ないとどなたかの話で拝聴したことがありますが、一般の人達は我々の衣に対して、そのような受け取り方をしているということは残念なことです。衣を着たものがはずかしくない社会的行動も、寺院の経営も十分果たせる人材を養っていくことが根本的に必要だと思います。今、世間の人々がお坊さんというものを見る目はどうだろうか。そのみる目を変えていかなければ我々の発展はないと思います。
 
 
○座右の銘は
 自分でただ自己を反省する。日々反省だけです。