「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成29年10月〜】

 掲載号等  【第34号】:昭和63年10月発行 

八王子廣園僧堂 師家丹羽文圭老師

「出家沙門である自覚と誇りを持て!」
 
    
 
○お生まれはどちらでしょうか。

 私は伊深の正眼寺の近くの生まれで、雲水が私達の家に托鉢に来るのを珍しく眺めながら育ちました。父が毎晩風呂から出ると家族を集めてお経を唱和させたので、出家する前からお経を誦んでいました。

 

 

〇出家の動機は何でしたか。

 師匠が遠い親戚に当たり、丹波の寺に住職して小僧を捜していました。八人兄弟の真中の私は大勢の子供の一人位と云う事でそこの小僧に成りました。小学校の四年生の時です。小僧は私一人でしたから、朝早く起きてお勤めをし、板の間を拭き師匠のお膳を作ってから学校へ行くという生活でした。

 

 

〇今の修行はいかがでしょう。

 昔とは苦しみ方が違う。恵まれて育った為かえって精神的に苦しみが多いのではないでしょうか。しかし、小僧や雲水の時に矛盾や苦しみを耐えぬいてこなければ一人前の禅僧にはなれないと思います。僧堂生活はある面で矛盾を含んでいますが、自分の腹の中に確たる覚悟がありさえすれば修行は全然苦労ではありません。

 私か制間で帰ると、母が寒かろう、美味しい物が食べられないだろうと一生懸命世話をやいてくれるのを、父が「仏様にさし上げたんじゃからそんなに世話をやくな」と怒るんです。又、祖母は非常に信心の深い人でして、私の姿を見て合掌するんですよ、合掌を。

 覚悟と親の期待に答えなければという気持ちが有ったればこそ、長い間、平気で修行が出来、今日の私かあります。

 

 

〇お師匠様はどの様なお方でしたか。

 厳しい人でしてね。小僧時代から約二十年間師匠の部屋の敷居を跨いだ事がなかったです。いつも廊下の板の間で挨拶をし、お説教を座ったままで聞きました。やっと僧堂の評席に成って帰って来た時。「まあ中へ入れ、入ってお茶を飲め」と云ってくれたんですよ。感激しましたね。感激して師匠の部屋の敷居を跨いだのを今でも覚えております。

 修行中ある寺から私に入寺の拝請が来ましたので相談に行きましたら、「わしは知らん、お前の勝手にせい」と云われたんです。なんと冷たい人だと思いましたが、よく考えてみると私はまだまだ一人前ではない、もっと修行をしなければと、この話をキッパリと断わりまして、それから五、六年一生懸命修行をしました。

 師匠はああせい、こうせいなんて事は一切云われない、自分で知れと云う事が徹底しておりました。今の教育ママのやり方と正反対で。それが師匠の慈悲心なんですね。そういう育て方をしてくれた師匠というものを今考えてみると涙が出る程有り難いです。

 晩年、机の上には臨済録が一冊置いてあるだけ、この頃はこれ一冊あれば良いと云っておられました。よくその様な心境に成れると思いましたね。

 

 

〇寺の整備に御苦労なされたそうですが。

 仏殿だとか開山堂は雨が漏るのでトタンが挿んであって、それこそ潰してしまうか売ってしまおうかと云っていた処へ、南禅僧堂にいたのを師の厳命で呼び戻されました。そこでなんとか復興しようと色々考えまして東京都へ申請して、できるものはすべて文化財にしてもらいました。東京は皆、戦災にあって古い物がないので関心が強かったという事もあって指定を受けました。指定されれば守っていく責任が出来、東京都が八割、市が1割出してくれましたので有り難い事に修復する事が出来ました。次に宅地開発でどんどん緑が無くなって来ているのでこれをなんとか保存したいという事で境内全域を史跡に指定してもらいました。この為、文化財にならない本堂等も東京都が修理してくれました。

 寺のサイクルでみると百年に一度位のチャンスが来るので、できる時にやっておかないと潰れてしまうんです。そして出来る時に出来るだけ立派な物を作る事です。これは決っして贅沢ではありません。立派な物を作っておけば後の人が必ず大事にしてくれ、後に来る人も立派な人が来てくれる。ここもそのお蔭で残っているんですから。この様に整備が出来たという事は、法縁に恵まれたという事でしょう。

 

 

〇晋山式をなさるそうですが。

 三百町歩の田畑が農地開放で無くなり大変荒れ、一番苦しい時に師匠が来られました。そこで檀家の者が晋山式をと云ったら、「雨の漏る屋根を眺めながら晋山式が出来るか」と怒られて、とうとう晋山式をやらずじまいです。

 二十八年かかって一通り全部修理し、書院や隠寮も建てたりしましたので、師匠ができなかった晋山式をやる予定をしております。これをやらないと檀家の人達は小僧や息子が帰って来て留守番をする位にしか思わないんですよ。そこで世間に披露して自分の決意を新たにすると同時に、師匠や法類の和尚方に認識を新たにさせるという意義があります。

 

 

〇布教活動についてはいかがですか。

 月二度程、東京で大企業の定年退職をする人を対象に、南方の仏教と同じで定年退職の年になったら、全国民総得度をしたらどうかと話をしております。得度とまでいかなくても人生の大きなセレモニーとして、心を切り替える時期として、いつ死んでもいいという覚悟を決め、生まれ変わった気持ちになって余生を生きがいのある今迄と別な意味で楽しい生き方をしてはどうかと話しています。今、ターミナルケアの問題が話題になっていますが、禅僧としてはこの世の役に立だなくなったらパッといく位の覚悟は元気な間に決めるという布教をする事が大事だと思います。

 インドに旅行した時、ベナレスにてヒンズー教徒が人生のターミナルとして聖なるガンジス川のほとりに来て安らかに死を迎える話を聞きました。ケアとは人間として当然な行いであり、仏教徒としてはこのような聖地を作り、天国へのパスポートを授ける事も大切な事業となって来るでしょう。

 各寺院方の布教活動という事ですが、これだけ複雑な世の中に成ると、社会の移り変わりに合せて異質なものを学び共存していくという様な考え方をしないと一人善がりの独善的な禅天魔に成ってしまいます。家風自ずから別調で、自分の立場を自覚すれば、おのずと自分の生き方、布教方法、寺の運営というものがハッキリしてきます。個々の法門はその人その寺によって全部違うんだという事を踏まえて布教する事が大切で、坊さんの殼に留らずに時代に即応した活動をすべきだと思います。その為には根本を捉えていないとミイラ取りがミイラに成ってしまう恐れがあるという事です。

 

 

〇後継者問題のお考えを。

 ここの末寺の和尚さんにこんな話がありました。子供の時、野火止の平林寺の晋山式かなにかに拝請されたので一緒について行き、そこで老師さんが知事さんの上席に座っておられるのを見て、「お坊さんというのは知事さんよりも上なのか、偉いなあ」と感心してお坊さんに成ろうと自分で決心したそうです。

 檀家の人達に頭を下げられる立場にあるすばらしい聖職なんだと云う事に気づけば、そこにおのずと誇りが出てきます。そうした事を踏まえた行動をすれば子供や小僧はその姿を見て坊さんの生き方はすばらしい生き方だと云う事を何かにつけて魅力に感じるものです。嫌々ながらいい加減な気持ちで成っているのか、ちゃんとした自覚を持って行動しているのかは子供でもわかるもので、精神的なものが一番大きく作用します。

 多少不満があっても、仕方なしに剃髪した者も、子供が出来だ段階でお坊さんというのは大変だという事を再認識して、次の世代を担っていく者をキチンと育てなくてはなりません。出家沙門であるという自覚と誇りが自ずから持てれば皆からも尊敬され、自然と後嗣ぎ問題も解決すると思います。