「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成29年10月〜】

 掲載号等  【第33号】:昭和63年6月発行 

黄檗宗 北九州 円通寺 林文照老師 
「禅坊主なら坐を愛せ!」
 
    
 
○幼少の頃を顧みて(毋の思い出)

 私は、羅?でありまして、肉親で三代目にあたります。

 師匠である父親は、私か十才の時に遷化しました。母は、私を僧侶に育てるために、飲む物も飲まず、食うものも食わずに大変苦労をしてくれました。今年の一月十六日で九十才になり生きていてくれています。

 今、思い出してみますと、私か現在、坊さんとしておられるのは母のおかげであると思います。

私を僧侶に育てるという、母の一途な姿が、私に与えた影響は、非常に大きなものがありました。母の里は、別府の崇福寺という臨済宗のお寺の出で、その両親も大変信心深い人でした。師匠の遷化後、こんなことがありました。夜寝ておりますと、離れて暮らしている別府の祖母が、仏壇に向かって、般若心経をあげている姿がありありと見えてきて、私の身体が硬直して動けなくなるのです。毎朝のことなので、気持ちが悪く、恐ろしくなり、柤母にたずねてみましたところ、祖母は、毎朝私のことを念じてお参りをしていたのだとのことでした。

 子供の心は、大人と違って、無垢清浄で無心に近いから、距離や時間を超越して念ずる祖母の姿が見え、聲が聴えたと思うのです。又、母は、私が僧侶になる様に念じて、大寒中、毎夜妙見神社(師匠の住職していた寺の守護神社)に、お百度を踏んでいた事を、大学卒業後、茶店の婆様から聴きました。

 もし、この様な祖母や母の一念がなければ、私はきっと僧侶になっていなかったと思い、有難く思っております。

 

 

○ぜい沢を求めすぎてはいないか

 このように、私が僧侶になれた経過には、母や祖母の影響が大きかったように、無住寺院対策も、寺庭婦人のあり方、協力が不可欠であると思います。

 勿論、子弟育成は、住職と寺庭との共同作業でありますのでその寺の主人公である住職の考え方と行持が大きな役割を持つと思います。

 まず、何よりも子供を僧侶にしようという熱意が両者にあるか、ないかが問題であります。我々禅宗坊主が“坐”に対する自信、プライドを持って、これで生きているんだという迫力があれば、その姿を見た若い弟子や子供たちがついてこないはずはありません。

 ところが、昨今では、どうしても生活が優先してしまい、僧侶が持つべき僧侶らしさを見失っているのではないでしょうか。

 昭和三十五年頃亡くなった方で、私の知り合いに、赤染全戒という方かおりました。

この人は、曹洞宗の方ですが大変如法綿密な師でした。十年間修行道場での生活の後、三十才ぐらいで、倒れかかったようなお寺に住職されて。檀家もほとんど無い状態でした。毎日托。毎日托鉢に出られ、頂いてきたもので生活をしておられました。やがて、奥さんをもらわれ、子供ができ、だんだん大きくなって、小学校へ行くようになりますと、友だちから乞食坊主の子と言われ、恥かしい思いをしたそうです。そこで奥さんが、「托鉢をやめてほしい」と和尚に申しましたところ、師は、「お前がそう言うならば、子供を連れて出て行ってくれ、私はこの寺でこの道を歩むのだ」と言い切られて、続けられたのです。今ではそのお寺も立派になり、沢山の檀家も出来、孫さんが住職をしておられます。その時の全戒和尚の信念と迫力を見習らわなければならないと思います。

かく言う私も、現在の寺に住職した時は、一軒の檀家、一人の信者もなく、本山や県庁にも登記されて無い廃寺に入りました。爾来十余年間は、毎日が草鞋履きの托鉢、即ち乞食に徹しました。お蔭様で「肩あって着ずということ無く、囗あって食わずということなし」で、此の様に生きております。誰だったか「食えなんだら食うな」と言った方がいましたが、私は全く同感です。安易な手段で、手っとり早い収入の道を先ず考え、その理由をもっともらしく「貧乏寺だから」と言う方がいますが、禅僧から逃避しているのであって、本当の勇気ではなく、又、その寺の本尊様を馬鹿にするにも程があると、私は思っております。

 今、無住になったり、寺がっぶれていくのは、吾々が余り贅沢を求めすぎるからではないでしょうか。坐禅をして、その為に寺がつぶれるのなら、祖師方も許して下さると思いますが・・・

 

 

○寺庭婦人には教育ママになってほしくない。

 子弟の養育には、住職の行持が大切であると共に、奥さんである寺庭婦人も住職と一心同体となって、子弟の教育につとめてもらわなければならないと思います。

 子供を学校に入れるにしても社会的に入りにくい学校が良い学校だと思い込んでしまうのが社会的通念であるようですが、宗門においては、花園があり、駒沢があり、正眼があるのですから、やはり僧侶に育てるには学問ばかりでなく、禅的な教育のほどこされる道を選んでもらいたいと思います。社会的に言う教育ママ的な考えは、寺庭婦人には持ってもらいたくないと思います。またそのように、住職が主体性をもって寺庭を教育しなければなりません。その様な意味においては、各地で行なわれる講習会なども、おおいに結構ですが、それだけで事足りているのではありませんので、やはり沙弥教育の場は、その寺(家庭)で行なってほしいものです。

 

 

○如何に坐禅で現在をいきるか

 寺を解放して、子供会の場に提供したり、幼稚園や保育園をするにしても、やはり根本になるものは、そこの住職の禅心とその行持にあると思います。

 私か以前に伺った、名古屋のあるお寺では、幼稚園をしておりますが、そこの住職は、合掌に徹底しておられます。父兄に対しても、職員に対しても誰を見ても、何を見ても合掌で接することで一つの筋を通しておられ、こういった行持が大きな布教になっております。

 一則の公案も、徼することにあるのですから、徹することこそが我々に課せられた大きな課題です。しかし、例えば坐禅会などの場合に、坐禅というものをあまり正面に打ち出してしまうことは、逆に一般在家の人々を導く上においては、敷居を高くしてしまいますので、坐禅は安楽の法門であることを前提に導いてゆかなければならないと思います。と申しますと、此の言葉は、誤解を招き易いので補促させて頂きますが、吾々禅僧は、何故あれ程厳粛であり、猶且つ精進して来た筈の禅堂生活時代の坐禅を、末寺住職になった途端に止めてしまうのでしょうか?その寺の本堂に坐布一つ無く、又、和尚が平素坐禅をしている雰囲気も感じられない寺が多いのは何故でしょうか。

 坐禅は、禅堂時代だけのものではない筈です。吾人は、よく知っての通り、坐は他にあるのではなく、自己の内面的問題として、自問自答してみる必要がありそうです。

 一日二十四時間中僅か一?の坐も行ぜず「どこどこの道場で厳しく、苦しい修行を○年して来と」等々と、自慢たらしく自己吹聴する人をよく見かけますが、そんな過去より、如何に坐禅で現在を生きるかが勝負でしょう。それでこそ、その集団を禅宗と名付けているのではありますまいか。自分が坐を愛し、楽しみ続けていれば、必ず一緒に坐る人が集まって来ます。

 平素自分が坐りもせず、大人数を「研修」という名のもとで集め、警策を振り廻し、大声をあげてどなり散らしてお祭りさわぎする様なのを禅の挙揚と心得ているところに問題がありそうです。

 これは一寸と言葉が過ぎた様ですが・・・禅坊主なら「自已に親しむ」坐を愛し、好きにならなければ本当でないと思います。