「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成29年9月〜】

 掲載号等  【第26号】:昭和61年10月発行 

海清僧堂師家 春見文勝老師
「毒語」
 
   
 

 八十の老僧に、「毒語」を述べよとの依頼。毒語なる言葉、一般の辞書には見当たりません。毒語は宗師の語、また宗師の語はみな毒語です。即ち、無上菩提という大毒を以て、迷いも悟りも悉く殺し尽す。いやはや、人の命を抜き取るところの活言句【かつごんく】であります。
 
 
 私は悪縁あって、今でも僧堂にお世話になっていますが、道楽の一つは会下同志の親睦、もう一つは、会下全員が「有難いお経と回向」が出来るよう教えこむことです。若い憎が美声で力一杯お経をあげ、斎会に朗々と慇懃にご回向するのを聞くことが、たまらなく有難く、また楽しみでもあります。維那です。時折りどべた(毒語)がいますと、これは信心を毒する。
 
 
 勉旃、勉旃。坊さんである限り、維那が出来ないと一生涯寂しい。人前で堂々と維那が出来る者が幾人いましょうか。
 
 
 私は小僧の頃、風の日や吹雪の朝に裏山に上って、ありたけの声を出して「声破り」をさせられました。僧堂時代は「食用蛙」と腐されましたが、そういう余韻が残っているのでしょうか、今でも毎朝若い僧たちと二時間余りドラ声を張り上げて楽しんでいます。ここの住職になって以来、始めは全く声の出ない雲水さんが四人ほどいたが、半年か一年の練習で素睛らしい美声に変わり、親ごさんに喜ばれました。会下で、十数人、天下一品の声の主がおります。私なりに毎朝ドラ声をあげて教えているわけです。関東では七月が盆ですから、これを書いている今、六月の摂心後は、施餓鬼のお経の猛練習です。三年在錫すれば素靖らしい維那が生まれます。
 
 
 お経は読むと言いますから、初心者でなくとも、経本を持って堂々と読むのがよろしい。お経ほど有難いものはない。一度覚えたら一生涯同じお経でよい。真に素的な習慣を先輩が定めて下さった。心経は、私にとって、明治帝のご病気平愈のため、百姓の三男が三歳でかり出されて覚え、それ以来のお経です。どんな大徳でも、同じ場所で三回も同じ法話をすると。「またあの話か」となじる人がいます。どんな職業でも少し間違えたら大変で、お医者さんなど特にうかうかしておられません。そこへゆくと坊様は少しくらい位間違えても、その時は読み直せばよろしい。
 
 
 「お布施のないお経」を読む坊さん、朝課は三時や四時に読まなくとも、檀家の人々が起きる少し前に暁鐘を搗き、大声で読経を続けりや必ず声が良くなり、有難いお経が上げられます。自分のお経に感心する声が出ること必定です。私は音痴で、カラオケは全然駄目ですが、お経は又別で、そのコツを申しましょう。この世界に存在する凡て【すべて】の音の後尾は、「あ・い・う・え・お」の五母音と「ん」で回向は、これら六音が生命です。(下図参照)最後に私の好きな観音様の法語をお話ししましょう。「菩薩清涼ノ月」自身が慈悲の月光輝く観音様になり、力強く低音で穏やかに唱え始める「畢竟遊ヅ於空二」生者も死者も、尊厳なる霊格は皆共に仏様の極楽に楽しく遊戯しております。「衆生ノ心水浄」今日お供養する者は、身も心も仏様で清浄無垢です。「菩提ノ影現ズ中二」拝まれる者も悉く観音様の慈悲の光に照らされ、悟りの楽園に生れ、お釈迦様のみ弟子となって、安心立命致しました。