「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成29年6月〜】

 掲載号等  【第18号】:昭和59年10月発行 

 「羞を知る」

 永源僧堂師家  篠原大雄老師
 
   
  







出家時の約束
 大学を中退して禅僧になる決心をした時、師は「二つのことを厳守してくれ、もしこの二つが約束できなかったら出家しない方がいい」と言われました。一つ、修行成就まで僧堂を退かぬこと。一つ、妻帯せざること。「どうだ」「守ります」と言っことで僧堂へ掛塔しました。「世縁を絶って、身を法の為に捧げ、生涯修行を続けること、これを出家という」と言う極く当り前のことを遵守してくれたらいいというのです。そして「これが履行できないようでは出家でもないし、禅憎でもない。分るか」「分ります」「じゃ男と男の約束だ」「約束します」という風な会話がありました。
 
 僧堂在錫中には、生身の人間ですから色々なこともありました。病気になって弱気になったこともありました。対人関係に悩まされたこともありました。女性問題もあって結婚しようと考えたこともありました。同参の人達が住職し、結婚し、子供を儲けてゆくのを羨しく思ったこともありました。幼馴染や同窓生が次々と出世してゆくのを聞き焦りを感じたこともありました。一人故郷に残して来た母のことも考えました。そして、一向に、修行上の埓があかない自分、ともすれば易きにつこうとして真向に修行に取り組もうとしない自分に歯痒い思いをした時もありました。そういう弱い自分に鞭うってくれたものは、やはり最初の約束でした。男と男の約束の絆を断ち切ることは、男として決して潔いことではないという気持でした。
 
 
 
生涯修行
 先年、ようやく僧堂を退かせて貰いました。その時最刧に感じたのは、これからが本当の修行の始まりである、今やっとその入口に立っている、ということでした。僧堂での参禅人室が了ったところで、又新しく別のそれが始まっていることに気づきました。五祖法演禅師の「我れ参ずること二十年、今、方に羞を知る」という言葉の意味が、この頃になって真に分ってきました。今から学ばなければならないこと、やらなければならないことが山積しています。大燈国師「示・衆法語」の、「只須らく十二時中、無理会の処に向って窮め来り窮め去るべし」の通りであります。
 
 
 
「羞を知る」
 僧堂の同参の人が、昨年、二心発起して宗門の大学に入学しました。彼は妻もあり、彼女のお腹には赤ちゃんもありました。彼はそれらを振り切って大学に行きました。僧堂を出て、一ヶ寺の住職になったのですが、その時になって初めて自分の未熟さに気づいたというのです。時折、檀家の人が寺に来ます。
 「おっさん、般若心経の色即是空、空即是色とはどういう意味や」と尋ねます。正直言って、その真意が自分に分っていないから答えられない。又別の人が来ます。「おっさん、この軸物の讃に、”柳は緑ならず、花は紅ならず と書いてあるがどういう意味や。柳は禄やないか、花は紅いやないか」これにも答えられない。年寄りが来ます。「わしはもう年とって坐神なんかできへんが、それでも禅が分るか、禅で救われるか」と聞きます。「衆生本来佛なり、というが、本来沸ならもう修行は要らんやないか」等々、彼は一応の説明をしますが、あくまでも説明であって、肯心自ら許す底の答えでないことは自身よく分っている。彼は四十才を過ぎています。「もう一遍修行し直してみます。今のままでは禅僧といえませんから」
彼の「羞を知る」の心底、大阪少林寺匡道和尚再参の話を思い出させます。
―自ら引導して而かもそれが行き去りたる処を知らざる愚禿に与うるの財なしと、囗を極めて痛罵し去る。此において、匡道大いに憤激し、再び出でて遊方し、十余年を経て始めて大事を丁畢するを得たりきという(近世禅林言行録)
出家して、出家の為すべきことを為さぬのはさびしいことです。禅僧と為って、禅の何たるかが分っていないのもさびしいことです。そして、臨済宗の宗徒でありながら、「臨済録」にさえも参じたことがないとしたら、実にさびしい限りであります。我が永源寺の開山寂室禅師に一つの逸話が残されています。
 寂室、その徒に語りて言うは、「吾に緊要の一訣あり。秘密のことなれど、汝に付すべし。汝、毎日晨に起きて、まず手を引きて頭顱を摩で、又目をもて袈裟を顧みて、心に念い囗にいうべし。吾はこれ釈迦文佛の法孫の出家なり。たとい命を殞すとも、比丘の模範を失わじと。これ第一の覚悟なり」とぞ。