「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成29年6月〜】

 掲載号等  【第17号】:昭和59年6月発行 

 「僧堂に於ける陰徳を積むということを忘れてはならない」

 正眼僧堂師家 正眼短大学長
  谷耕月老師
 
   
  






質問者
 最近の若い人や学生を見ていますと、どうも、住職になる為に形だけ僧堂に行く人が増えてきたのではないかと、思われるのですが、その中で、本当に僧侶としての自覚を持たせる為に、老大師はどのように御指導なされていますか。
 
老師
 私は、僧堂の師家と短大の学長を兼ねた特殊な立場にありますから、僧堂の立場だけを主張している訳には参らないことが多くあります。
 御存じのとおり、僧堂はどこまでも諸縁を放下し十方の信施によって、修行を成就することが本来の姿でありますが、実際には雲水の多くは短期間で資格を取り自坊に帰ります。ですから如何に地域社会の為に役立つ人物を作り、住職としてはずかしくない僧侶を育てるかが大事だと思います。
 そこで目下のところ、短大側の協力を得て、雲水にも、法儀・書道・茶華道など学生と一緒に出来るものは、大接心中や托鉢日を除いて、僧堂のスケジュールの許される限り学校にも出席出来るようにしています。雲水ですから授業料をとらず学生と同席して聴講でき、資格が取れる訳です。例えば、書道など僧侶として必要なことの基本や、住職として実際に日常使う文字、(菓儀とか○○九拝)を習うことが出来るようにしています。三年僧堂で頑張れば少なくとも、そうしたことも身につき役に立つようにしたいものと考えています。
 
 
 
質問者
 現在、一般の人の方が求める点で真剣であり、私達の方が弱いという面があると思います。その差を何とか縮めていくようにしなければと思うのですが。
 
老師
 そうなんです。繋がっていくものが無いから、励みになることを一つでも多く身につけ、それが役立つんだと、これからの若い人にはこちらから励みをつけてあげることが大事だと思います。
 正眼寺では毎年、雲水と学生が主体となり、少年を対象とした林間学校、一般社会人を対象とした夏期講座、その他、制間を利用した、各種の研修会が何れも好評であり、そうした行事を通して身につけるものが大きいと思われます。
 
 
 
質問者
 私達青年僧は次の世代の為に、どのような心掛けが必要でしょうか。
 
老師
 今の雲水を見て思うのですが、衣に誇りを持つということです。親が衣に誇りを持てば、きっと子供がその誇りを受け継ぎ、またその誇りを持つようになる。これが大事だと思います。親に衣の誇りが無いと、せっかく短大まで来ても、もう一つ子供が衣を着たがらない。誇りを捨ててしまう。こちらにも責任があるのですが、それ以上に親に衣を着る誇りが無いと駄目ですね。その意味で、親として衣を着たからには衣に誇りを持ってほしい。そのことによって子供は何も言わなくても衣を着ます。広い意味でのお坊さんであるという自覚です。これが大事ですね。「坊主はつまらん、つまらん」と親がいうと、子供は、「親がつまらんもんになんでなるんか」という事になるのです。
 
 
 
質問者
 そういう人に限って後住でなやむ。やはり日常底が大事なのではないでしょうか。
 
老師
 開山様の遺誡に、「請う、その本を務めよ葉をつみ枝を尋ねることなくんばよし」とありますが、私達はお互いにやはりその意味でも、常に自分達の足下だけでも正していくことが大切なことです。
 
 
 
質問者
 開山様が、自分も一緒に畑を耕したその心が、今、忘れられようとしているのではないでしょうか。
 
老師
 私達僧侶だけでなく、現代人はあまりにも目先きのことが忙しくて、それぞれ自分の足下を耕すということを忘れがちです。即ち、僧堂に於ける陰徳を積むということを忘れてはならないと思うのです。その意味でも、この伊深の開山様、関山国師の生き様はやはり素晴らしいと思います。そして、この心が本当に現代の社会にも当て嵌まることと思うのです。
 
 
 
質問者
 その時々、場所場所で、それぞれ相手が求めるものになって開山様はお仕事をなされたのですね。
 
老師
 そう自分を棄てきって、お百姓さんと共に生きておられた。正眼寺では、「今在ますが如く」開山様の心を心としてお勤めし、修行しております。
 この僧堂で修行された方々の中には、住職として地域社会の中に出ても尚、その心を忘れず、隠れた徳を積んでおられる方が、沢山おられますよ。
  
 
 
質問者
 有難う御座居ました。最後に老大師のお好きなお言葉をお願いいたします。
 
老師
 逸外先師がよくいわれた、「窮すれば変じ、変ずれば通ず」です。