「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成29年5月〜】

 掲載号等  【第14号】:昭和58年10月発行 

 「途中に在って家舎を離れず、家舎を離れて途中に在らず」

 虎渓僧堂師家 中村文峰老師
 

  





修行僧の疑問
 曽って京都にて住職していた寺は僧堂から指呼の間にあった。朝夕、僧堂の「鳴らし物」(版木・雲板・殿鐘・喚鐘等)が聞こえるたびに身の引き締る思いがしたものである。
雲水達もよく出入し彼等から種種話を聞いたが、その中で一番多い悩みは、
「僧堂の修行が現代の一般の人の救済とどのような関わりを持つのでしょうか」
という内容であった。これらの質問に対し、
「僧堂で修行したことのある人は、僧堂の「鳴らし物」一つを聞いても身が引き締るのである。一般の信者の方も修行僧が「叉手当胸・虎視牛行」し、只管(ひたすら)に道を求める姿を見て感銘を受けるのである。「上求菩提」の姿が真実であれば、その姿がそのまま「下化衆生」に繋がるのである」
と返事したことがある。
 
 
 
僧堂の使命
 さて、数年後自分が僧堂を董す立場となり、改めて「僧堂の使命」について考えてみると次の如くである。
 
一、禅堂は坐禅摂心第一である。摂心は規矩厳正に行うべきである。これは僧堂にして始めて行うことができるものである。
 
二、僧堂は全人教育の場である。四六時中、衆の中にあって自分の小我を磨り減すのが修行である。日常生活の中の食事・作務等を行ずるうちに、里芋の子を洗うように他人の泥で自分の泥を洗い落すのである。
 
三、現在の僧堂は雛僧教育の場でもある。戦前は徒弟教育により一通りの「看経」「礼儀作法」「維那」「褝録の素読」「作詩法」等の基礎知識を身につけて僧堂に掛塔したものであるが、昨今は僧堂がこれらを担当している。上の諸項目のうち特に「禅録の素読」「作詩法」は危機に瀕しているといえる。戦後の教育により漢文が軽視されたことにより、今後の「褝録」の伝統的な読みは僧堂にのみ存続することになろう。
又、「作詩法」も同様である。葬式等の香語は「法語集」等の参考書で間に合わせればよいのであるが、その内容の理解、作詩の基本的な指導は僧堂に課せられるであろう。明治時代のある禅僧が、葬式の「一喝」について信者に質問せられ躊躇して再修行した話が残っているが、現今では「一喝」の内容は暫く措き、参考書の「法語集」にある「偈頌」の内容の意味について聞かれて躊躇することになろう。
 
四、「禅僧としての社会的、国際的使命を自覚させる」この課題は前項の「雛僧教育」と共に戦前の僧堂には課せられなかったものである。然し、ある宗教学者が言うように「宗教が社会を規制し、社会が宗教を規制する」ものであれば、現実社会の動向、国際的関係の動向も十分自覚する必要があるが、これは師家の対社会的姿勢により決定される問題である。
以上、「僧堂の使命」を四点に集約したのであるが、僧堂はやはり、第一の「摂心」により正法を護持し、他は正念相続により付随して行われるものである。
 
 
 
青年僧への提言
 先に「僧堂の使命」を四項目あげたが、そのうち第四の「禅僧としての社会的、国際的使命の自覚」を現実社会において実践し推進して行くことが青年僧の使命である。
ところが、この問題は「千差路有り」で、対社会的に布教するにしても、坐禅会、御詠歌の会、葬式、法事、説教、幼稚園、保育園の経営と広義に解釈すれば実に多種多様である。
対国際的活動についても「欧米に対する禅布教」「東南アジヤの難民救済」「中国における祖塔の復興」等があげられるが、これまた自分のおかれた立場により、各自の受け取り方は百人百様である。
とはいえ、これらの問題に対応するにはやはり禅僧としての基本的姿勢が要求されるであろう。この基本的姿勢には僧堂の「摂心」に於て培かわれた正しい見識が必要となるのである。
先般、ある「青年僧の会」にて懇談する機会があり、次のような話をした。
「青年僧の僧は、僧伽(サンガ)と言うことである。僧伽は「つどいの力」である。一人でやってもできないことが、三人五人と集まればできる。
現在、私達を取巻く情勢は社会的にも国際的にも問題は多い。各自のおかれた環境により取り組み方は異なるが、「臨濟録」の中にある「途中に在って家舎を離れず、家舎を離れて途中に在らず」という基本的な精神を見失わなかったら、道は自ら開かれるであろう」と。これをそのままここで青年僧の諸君に提示して、この稿の結語としたい。