「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成29年3月〜】

 掲載号等  【第4号】:昭和56年4月発行 

 青年僧の課題
 天龍寺僧堂 平田精耕老師





臨済の僧侶である限り坐禅を通して、自己を深く追求して行く。これが禅僧の基本課題だと思う。

他を救う事も大事な事ではあるが、その前に自己というものを深く見つめて行くという、禅僧としての基本をまずもって皆様が身につけてほしいものである。そして、そこで得た処の基本の力をもって檀信徒に、一般社会の方々に対して指導をして行く、それは応用問題に属する。この応用問題の中に寺院経営や布教々化等が入って来ると思われる。その応用問題が解けないという事は、基本をしっかりと身に着けて居ない、ということになってくる。僧堂生活というものは、人間の基本の生活をやっている所で、何も骨皮になって死ぬ迄叢林に居る必要はない。もちろんそれをしたいという人は別であるが、何も四〇年、五〇年まして死ぬ迄僧堂に居て坐禅をして暮すということは、禅僧としての窮極の目的でも、禅堂そのものの目的でもない。基本の原則を得たなら、いち早く社会に出て大いに僧堂で得た処の禅定力をフルに活用して、応用問題の世界に役立ててほしいものである。

いわゆる、僧堂生活は基本の生活、社会生活は応用の生活と云えよう。

僧堂時代の規矩の生活が寺院生活の基本となり、本となり、その上に葬式、法事檀信徒。一般の教化といった応用問題が出てくる。一般社会の人々は応用問題の世界を生きているのであって基本を知らない。その為に一度つまずくと帰るべき基本がないからその人の生活はみごとに崩れ去ってしまう。我々禅僧は逆に、僧堂生活のみに終始してしまうと基本のみを知って、応用を知らないでしまう場合がある。その為、行きづまりとからまわりが生じて来るので注意しなければならない。

基本の無い応用は根なし草のようなものであり、応用の出来ない基本はクッションの無い車の様なものであることを知らなければならない。

我々は、第一にプロの坊さんであり、プロの禅僧であるからして、プロ意識を自覚し、基本を身につけること。第二に基本を大切にして応用問題に取り組むという、基本の力をふるに生かすこと。という二点を充分にふまえることが大切であろう。

私は今五十六才である。二十年後にはこの世を去ると思うんですが、今迄我々世代は日本を良かれ悪かれここまで築きあげて来た。皆さん方は、今三〇代だとするとあと四〇年は少なくともこの日本をささえて行ってもらわなくてはならない。

現在の日本は、エコノミックアニマルというあだ名を世界の国々よりつけられており、これが非常に悪い意味の言葉に使われている様に思われるが、そんな事をいうならば、軍備拡張を中心にして他国に武装侵略を企てているミリタリーアニマルだっているし、政治とかけ引きだけを原則としているポリティカルアニマルだっている。さしずめアラブなどはオイルアニマルではないだろうか。そうしてみるならエコノミックアニマルと云われたっても決してひけめを感じる必要はないだろう。戦後三十数年日本人は非常に勤勉で、頭が良く、良く働いて来た結果ここまでに成ったのでこう呼ばれるに至ったのであるから、決して恥ではないと思う。

ただしこまるのは自分らだけが美味いものばかりを食べて、ぶくぶくとこえ相手に喧嘩をふっかけられてもヨタヨタして、にげることも出来ないというような「喰らいこえたブタ」というあだ名だけは取ってもらいたくないものである。然しどうも現在の日本の姿を見ると、この類に入りつつある様に思われてならない。

たしかに誰でも貧乏よりは金持ちのほうが良いに決まっている。清貧という言葉が有るが、その言葉だってただ貧乏なのが良いというのではなくして、清らかなのが良いということである。清らかなのが尊いということなのである。単に、貧乏が良いというのなら、乞食はみんな立派ということになってしまう。やはり日本民族全体が貧乏になってしまうよりは、豊かになることは非常に良いことだとは思うのですが、貧乏になってだめになる人間と、貧乏になった為に非常に良くなる人間とがある。逆に金持ちになって堕落してしまう人間と、金持ちになればなる程すがすがしさを増す人間とがある。貧乏と金持ちの関係によっての善悪ではなくして、その人が問題であろう。

日本は先程も述べた通り、三十数年でこれだけの金持ち国になったのであるから今度は、清らかに富むという清富の国となる様にして行かなければなるまい。その為には日本人全体の心の持ち方が問題となるだろう。心の問題に取り組んで行かなければならないと思う。それ故、今后の日本人全体がこの点の研鑚を深めて行くことが、今后の日本民族の課題である。そういう課題に対してリーダーシップを取って行けるのは宗教家ではないかと思う。その宗教家の中に於いても禅僧としての立場で、日本民族の心のリーダーシップを取ってゆかねばなるまい。

このような点に焦点を当て今后の臨済宗青年僧の会が活動して行くのであるならば、今后の日本の将来は非常に明るいのではないだろうか、是非共そういう姿で活動して行く様、今后の皆さんの努力と熱意と意気に期待をしたい。