「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成29年2月〜】

 掲載号等  【第47号】:平成4年2月発行 

三島 龍沢寺  死活庵中川球童老師

  看よ観よ   「四弘誓願に鞭打って」



 菊薫る昨年十月静岡県三島市龍沢寺に於いて死活庵中川球童老師の晋山式が挙行されました。その晋山式が終わられて間もない死活庵老大師にお話を伺いました。
 
 

私の生い立ち
 私は、昭和二年に兵庫県氷上郡の曹洞宗のお寺に生を受けました。学徒動員で兵庫県相生市の播磨造船所へ、それから海軍に入隊し、十八才の時終戦を迎えました。それから駒沢大学仏教学部へ進みました。大学時代の二年間、岐阜県可児郡御嵩町の愚渓寺の星野大真師と同室になり、師の薫陶を受けまして、卒業後、愚渓寺の弟子となり臨済宗の僧侶になったわけです。
 
 昭和三十一年に龍沢寺に掛頭しました。山本玄峰老師の亡くなるまで、提唱を聞くことができました。そして、中川宋渕老師に師事することになるわけです。
 
 
 
 
私とイスラエル禅堂
 昭和四十四年に、はじめてイスラエルにいきました。イスラエルは御承知のようにユダヤ教を信じるユダヤ人の国です。そのユダヤ人の中に、坐禅をしたいという団体がありました。彼等は、新しいものに興味があり知識を世界に求めるという人たちです。その彼等から中川宋渕老師に話があり、そういう縁でイスラエルに行くことになった次第です。実は四回ほど話がありようやく行く気持ちになりました。まず、パレスチナ人の二階を借り禅センターとして発足しました。イスラエルは、ユダヤ教しか信じないという一神教の国である為、お釈迦様がこう言われた、達磨様がこう言われた、仏教ではこうです、ということは一切言うことは出来ませんし、受け入れてもくれません。皆強い信仰をもっている為に、宗教という枠ができてしまうのです。ですから布教というのではなくて、坐禅をともにし、ともに己事を究明するということをしてまいりました。
 
 テキストは、関田一喜さんが英訳された無門関や、臨済録などを使いましたが、やはりそこの風土、習慣などに合わせ、実例をもって示さなければ、納得してくれません。禅は、絶対者を立てないので外国人には、抵抗感がないし、宗教というより宗教以前の「父母未生以前の本来の面目」という人間の本質的な所が、外国人に受け入れられる一因だとおもいます。
 
 十二年間、昭和五十六年までイスラエルにおりました。それからユダヤ人の多いニューヨークに来ないかという話があり、昨年(平成二年)まで行っておりました。
 
 
 
 
照顧脚下(本分をつくす)
  久し振りに日本に帰ってみると、若い和尚さんより「修行道場で何年か過ごし寺の住職として頭は剃ってはいるが、生活自体は一般の方とあまり変わらない。自分に納得するものがない」とよく訴えられる。私は、そういう人には、「自分の足もとを見て自分の本分を務めることが一番大切な事である」といいたい。とかく人はああでもない、こうでもないといいます。自分が「直に自性を証すれば」で人間として生まれてよかった、坊さんとして生まれてよかった、サラリーマンでよかった、どんな職業でもよかったと落ち着けばいいとおもいます。ですから下手な自信を持たないほうがいいのです。自分に固まりや執着心を無くすことが大切です。修行の上では、公案は勿論大事なことです。しかし、現状公案ということをよく考えていただきたい。公案が日常使えなかったら何もならないのです。
 
 外国では、公案がいくつ通ったとか言う人がおおいのです。しかし、そういう事で自分を卑下したり、増長したりする必要はないのです。やはり、本分を尽くす事に最大の努力をするべきです。今、お寺の子供が後を継がないということが増えてきています。それは、親の子供に対する対応が問題じゃないかとおもいます。お寺での日常底が微妙に子供に反映してくるよう思います。自分の立場に落ち着いて、その本分を務めれば自然と子供はついてくると思います。自分が、縁あって坊さんになった。そういうご縁を今一度思い返してそのご縁を大切にするということを心がけて戴きたい。縁を大切にすることがわかれば、自然に坊さんの務めに対して真面目、忠実あるいは、精進、努力が生まれて来ると思います。是非、縁を今一度大切に考えて戴きたいと思います。
 
 
 
 
四弘誓願に鞭打って
 私はついこの前、晋山式をしたわけですが、これから晋山される方々、住職される方に対してお願いしたいことは、とどのつまりは、四弘誓願にあるということです。この四弘誓願に鞭打って努力をして戴きたい。本当に、この誓願文がわかってくれば、自然に坊さんとしての歩み、檀信徒との結び付き、世界との関係、等、自分の生活の基盤がわかってきます。その根本は、やはり坐禅です。「一寸坐れば、一寸の仏」といわれますが、一日十五分でも二十分でも時間をみつけて坐禅をして欲しい。そのことをこれからの青年僧に切にお願いいたします。