「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成27年7月21日〜9月21日】

 掲載号等  【第53号】:平成5年10月27日  

 河野太通老師
 祥福僧堂師家 【掲載当時】
 
 禅の生死観(その5)

 第22回 実践布教研究会より青年僧の課題
 

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生死 即 涅槃

 妙心寺の関山国師のところに「生死をどう脱がれたらよろしいか」と僧が尋ねてきたら、国師は「わしのところに生死などない」と、僧を叩き出してしまった。生死を対称的にとらえて、それを意識している間は、それから脱れるすべはない。そのような思念は、一息に撃砕しなければならない。生死なぞはない。その生死のない真人が、日々生死を繰り返すわけです。岸本博士は、皮膚ガンの宣告を受けながら、ついに半年の命を十年生きられました。この十年の間に人の三倍程の仕事をなさった。その時の岸本博士は、生死を越えた世界に居た。そして生死のままにこの世界のものがすべて生き死にを繰り返し逝くように、岸本博士はそれに順じて真実のままにこの世を去ったと思うのです。

三界無法 何れの処にか 心を求めん

 我々が住んでいる、娑婆の世界といものは無法だ。森羅万象粉然雑然としてあるわけですが、しかしこれ皆すべて空だ。この世界に存在するものは何もない。皆、仮の姿だ。私の心すらも実はない。形もなければ姿もな
い。虚空の如き大空の世界です。
 形がないから、限定も際限もない。時間的にも空間的にも限定がありません。竹中さんの言葉を借りるならば、「広大無辺な大空」です。ですから禅門ではよく、一円相を書く。この丸には実は限定がない。心は形も姿もない。そんなことを言うといよいよわからない。そういうわがらんものを形を示して提示するのが禅とも言える。何か形に表現せねばわからない。仕方がないから大きな丸を書く。しかしそれは仮です。この丸は際限のない丸であります。誰かが言いました。「宇宙というこの世界は真に不思議な世界で計り知れない。しかしその不思議な計り知れない世界を、そういうものであるということを人間は知っている。」正に心は無際限であります。時間を越え、空間を越えています。それを丸で表現するのです。



達磨大師に看る

禅門の伝統では、お釈迦様から二十八代目の祖師が、菩提達磨大師となっています。この菩提達磨大師が、インドから中国に禅を伝え、最後は毒殺される。当時の中国の仏教は、インドから渡来する経典を翻訳し解釈するという学問仏教と、戒律を行じるということが主流であったようでありますが、しかしそれだけでは、自分の心が安らがない。幾ら経典を論理的に学ぼうが、戒律を厳正に保とうが、心が安らがない。そういった問題が漢然と漂っていた中国仏教社会に、達磨がインドからやってきて、学解を退けて「空」、無所得の仏法の実践を提唱するわけであります。

三界無法 何れの処にか 心を求めん

それが当時の仏教界に反目を受けまして、何遍も毒殺されかかる。そしてご存知のように何度目かに分かっていながら毒を煽って死んだと伝えるんでありますが、実は毒殺されずにインドに帰ったという話もあります。
宋雲という人が、当時の皇帝の命を受けてインドに経典を求めに参ります。何年かたって、経典を持ってインドから中国に帰って来る宋雲は、中国からインドに帰る達磨さんにパミール高原で会ったというのです。その時達磨さんは素足で歩いておられて、片方の靴だけを持っておられた。そして「残念なことに君をインドに使いされた皇帝陛下はお亡くなりになって、次の代にかわっているよ」と言われたという。急いで中国に辿り着いてみると、なるほど皇帝陛下が亡くなって代がわりをしておった。宋雲が「実は達磨さんとパミール高原ですれちがって、皇帝陛下が亡くなられたことをお聞きしたんだ」と言いましたら、「いや、達磨さんも亡くなられて、熊耳山に葬むってある」と。そんな馬鹿なことがあるものか。それならと棺桶の蓋を開けて中を見た。そうしたら何と靴が片方だけで、達磨の身体はなかったという。そういうことが伝記として、まことしやかに伝えられておるのであります。私はこの話を、柳田聖山先生も指摘されておられますが、単なる達磨を神格化する伝説ではないと思う。ここに重要な禅の生死を越えるところの、重要なポイントが語られておるんだと思うのであります。
(次号につづく)


(つづく)

次号は平成27年8月3日頃より掲載予定です。