「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成27年7月21日〜9月21日】

 掲載号等  【第52号】:平成5年6月30日  

 河野太通老師
 祥福僧堂師家 【掲載当時】
 
 禅の生死観(その4)

 第22回 実践布教研究会より青年僧の課題
 

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「兜卒の三関」
「兜卒の三関」に対して、『無門関』という禅の問答集があり、その『無門関』を編集した人が、無門慧開和尚と申します。この方が「兜卒の三関」といいまして、兜卒和尚という人が弟子たちに与えた三つの生死について
の問題に対して、感想の詩を添えられています。
 
一念普く観ず、無量劫
無量劫の事、即ち如今
如今、箇の一念を?破【しょは】すれば
如今、?底の人を?破す
 
一瞬の思いに永遠を観る。
無量劫の事、即ち如今
永遠とは実は今のことだ、と今の一瞬の思いの中に永遠を観、永遠の中に即今只今を観る。
先年、「中国四千年展」という催しがありました。私は名古屋で観たんですが、中国四千年を私は僅か一時間ぐらいで観ちゃった。四千年が今であり、今が四千年である。
如今、箇の一念を?破すれば
如今、?底の人を?破す
この一瞬に四千年があり、四千年が一瞬である。この無限の時間を収めている今の一念がわかるなら、そう分かる自己こそ真人であったとわかる。これを「無位の真人」と言っています。これは臨済禅師の言葉ですが、位のつけ様のない真の人間。しかもこの「無位の真人」は汝ら諸人の顔から出入りしていると言われる。眼や耳で見たり聞いたりして、一念一念を起こしたり滅したりしている。
 
  
 
「数息観」の習得
 私はこの一念というものを、一息に置き換えてみる。私どもの道場に、毎春新しい雲水修行者がやって参ります。その雲水たちに、「兜卒の三関」というような公案を与えて、坐禅修行するのですが、私はその前に、まず丹田深呼吸法による「数息観」をよく習得してもらうことにしています。習得するのに人によって遅速がありますが、およそ二ヵ月程かかるでしょうか。まずこれを完全に習得してもらうのです。普通の腹式呼吸はへその上のあたりの腹を吐くときに引っ込め、吸うときに膨らます。丹田呼吸法はへその下のお腹の部分を吸うとき引っ込め、吐くとき膨らますわけです。私が言います丹田深呼吸法は、これを徹底深くするのです。まず一息吐いて、鼻から丹田に吸い込みます。それから今度吐くときに、数を数える。「ひとーつ」の「ひとー」で吐く。まず吐く時に胸に入っている空気をズーッと丹田に押し込めるようにして吐きます。この時、丹田は引つ込めるのではなく、充実して膨らむ。逆式呼吸と言ってもいいのかも知れない。ここに気力が籠ってくる。張ってくる。胸のあたりの空気がなくなったら、ここで丹田を引っ込めながら丹田の空気を押し出す。出す空気が終わりだというところで、もう一回押しだす。出し尽くしたら、そこでそのまま三拍くらいおいて、それから鼻から「ひとーつ」の「つ」を言ってるつもりで充分にゆっくり丹田に吸い込む。吐くのに二十秒くらいかけてゆっくり吐き、吸うのに六、七秒かけて吸う。大体一息三十秒かける。それで「とーお」までいったら、また「ひとーつ」に戻るのですが、慣れてきますと「ふたーつ」「みーっつ」でも端然と静まりかえってくる。そうしましたら普通の丹田呼吸法に返るわけです。
 
 
 
「生死」は一息の中
普通の丹田呼吸で、その人その時の状況によって、楽な速度と深みでやればいいわけです。
吐くほうがちょっと長く、二対一、吐くのが二、吸うのが一の割合でやるわけです。
 
生きながら死人になりて
なりはてて
思いのままにする技ぞよき
 
 これは、至道無難禅師の詩で、坐禅の心得として歌われた詩ではありませんが、私は雲水たちの丹田呼吸法による「数息観」を行う時の心得として引用させていただいています。
生きながら死人になりて
なりはてて
これが吐く時です。
 生きながら死人になりはてたところが吐き尽くしたところです。それから思いのままにする技ぞよきと、鼻から丹田に新たなる空気を吸い込んで、復活するわけです。吐いて吐いて、吸えなきゃそれで終りです。吸って吸って吐けなくても終りです。ですから吐くことは死ぬこと。吸うことは生きること。吐かなきや吸えない。吸わなきや吐けない。生きなきや死ねない。死ななきゃ生きれない。生死は一如。生きることと死ぬこと。死ぬことは生きること。まさに生死は、この一息の中にあるのだと実感するのです。そして息をするということがこんなに気持ちの良いものか知らなかった。自分の体の内にある呼吸を全部吐きつくしたところが死だが、このときは苦しいんじゃないかと思いますけれども、吐き尽くしますと、一つも苦しくない。それを。「ひとーつ」「ふたーつ」「みっーつ」と数えるくらいおいとく。苦しくない。非常に安らかであり、気持ちが良い。だから死ぬ時っていうのは、多分その瞬間は気持ちがいいのだろうと思います。気持ちが良くならなきゃ人間は死ねないんだと思います。
死ねない間はやはり苦しむんだ。どんな病にかかっても、死ぬ瞬間というものは安らいで死ぬんだと、そういうことを実感するのです。死ぬっていうことはこういうことだろうと・・・・。
(つづく)

次号は平成27年7月21日頃より2ヶ月間掲載予定です。