「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成27年7月7日〜9月7日】

 掲載号等  【第50号】:平成5年1月25日  

 河野太通老師
 祥福僧堂師家 【掲載当時】
 
 禅の生死観(その2)

 第22回 実践布教研究会より青年僧の課題
 

※その1はこちらをご覧ください。



 臨済宗の宗祖であります臨済禅師は、こういう詩をうたっております。

 「煦日(くにち)、發生(ほっしょう)シテ地ニ鋪(し)ク錦。幼孩(ようがい)、髪(はつ)ヲ垂レテ白キコト、絲(いと)ノ如シ」

「煦日」というのは春の陽射しであります。春の陽射しがあたりを照らしますと、春の草花がまるで錦のジュータンを敷きつめたように、綺麗に眺められる。そして、

 「幼孩、髪ヲ垂レテ白キコト、絲ノ如シ」

幼孩というのは赤ん坊ですが、赤ん坊が「髪ヲ垂レテ白キコト、絲ノ如シ」ふさふさとした髪の毛を生やしていて、それが白糸のように真っ白だ。これは老人ですが、そういった赤ん坊が、春の陽射しに輝く誠に美しい春の影色を眺めている。

 これが、「奪人不奪境(だつにんふだっきょう)」の境地だと言うのであります。「人」は主観であります。主観を奪って客観世界を奪わない。環境がそこに残される。その「奪人不奪境」の具体的現実的姿はこのようなものである。というわけで、この詩を添えているのであります。春の陽射しに照り輝く綺麗な野原を我を忘れて、眺めておる。白髪が垂れ下がっておるような赤ん坊はあり得ませんね。あり得ない、ということは我を忘却していることを意味しています。これが奪人なんです。主観を奪い、自分をとりまく環境に自己を没入し、我を忘れて楽しんでいる三昧の境地です。人間にはこういう境地があります。「ああ、綺麗だなあ」と。ただ花があるだけだ。それを 「奪人不奪境」の境地だという。

 
自己喪失の世界

 臨済禅師は、そのような意味でこの言葉をここに持ち出したと思うのですが、私はもう一つの意味合いを見るんであります。それは最初に持ちだしました。
 「待ちぼうけ」の世界であります。この「煦日」の句を「待ちぼけ」の見地から見ますと、環境に心を奪われて、白己のあり様を忘れ去っておる自己喪失の状態。こう見ることができると思う。 
「奪人不奪境」では、正観を奪うのは自己自身で、主体は自己にありますが、「待ちぼうけ」では、境に奪われるので、主体は境にあって、自己の主体格が失われています。


 待ちぼうけ 待ちぼうけ
 ある日 せっせと野良稼ぎ
 そこへ兎が 跳んで出て
 ころりころげた 木の根っこ


最初は偶然に兎が跳んできて、木の根っこにぶつかったからいい目をしたわけですね。その味をしめて、更に男は待ち続ける。


 待ちぼうけ 待ちぼうけ
 しめた これから寝て待とか
 待てば獲物は駆けて来る
 兎ぶつかれ 木の根っこ
 
 待ちぼうけ 待ちぼうけ
 きのう 鍬とり畑仕事
 今日は頬杖 日向ぼこ
 うまい切り株 木の根っこ


 心地よい事柄、目では美しいもの、耳では気持ちのいい音や言葉、鼻では良い香り、口ではおいしいものを求めている間に年寄りになってしまう。また富や名誉や権力というような外なるものを追っているうちに、内を見ることを忘れて、人生の夕暮れを迎える。しかしその老人は精神的には赤ん坊なんです。幼孩にして白髪を垂れておる。一向に精神的向上を遂げざるうちに老いを迎える。これも恐ろしい語句だなと思います。ですから。生きるということのみを見て、死のあることを忘れている現実の生き方というものは、そのうちに「待ちぼうけ」の歌のごとき。終末を迎えることになりはしないかと思うんです。やがて嫌おうなしに、その死に直面せざるを得ないわけでありますが、それはまだ先のことだとみんな思っている。

  
一大事は今日

 皆さんご存じだと思いますが、宗教学博士であられた岸本英雄さん。この方が学会に出席するためにアメリカに渡られた。その時に頬に異物ができて、お医者さんに行って診断を受けたら、それが皮膚ガンであった。今、日本ではガンになったことをその患者に告知するかどうかということが問題になっていますね。ところが二十年ほど前のアメリカでは、なるべく知らせたほうが良いというような零囲気が、もう社会的にはだいぶ出来上がっておった。そして患者は宗教学者です。常に生死の問題に取り組んでおるに違いない。というわけでしょうか、医者はこの岸本博士に告知するんです。
 「あなたは皮膚ガンです。しかし、あと半年は大丈夫です」要するにあと半年しか生きないってことでしょ。それを聞いた岸本博士は「ああそうですか…」と、あんまりピンとこなかった。
 「何か大変なことになったな・・・」とは思ったけれどもピンとこなかった。そして「これは日本におる家内に知らせてやらなきゃいかんなあ・・・」と、いうようなことぐらいを思いながら、タクシーに乗って宿舎に帰った。その宿舎に帰る車の中で「死」というものが、今まで感じたことのない強大な、絶大な恐怖となって自分にのしかかってきた。そう語っておるんであります。そして、日本で留守番しておられる奥さんに、どうこのことを伝えるかと苦心したというのです。
 それから治療を受ける。半年の命というのが、実はそれからのち10年ほど生きられるのですが、その十年問に、治療を続けながら学会誌にも研究発表する、各種雑誌に文章を載せるというような大変な活躍をなさって、ついに亡くなるんであります。そのガンの宣告を受けてから亡くなるまでの学術論文以外の文章を集めた本が出版された。確か「死をみつめて」という題だったと思いますが、その本の序文を、学生時分の友人であった増谷文雄先生という仏教学者が、こう書いておられる。
 「ある時、自分は岸本博士と一緒に車に乗った。そして何の話だったかは忘れたけれども、自分が「一大事とは今日只今のことなり」という言葉があるね、ということを話した。これは日本臨済宗の中興の柤といわれる白隠禅師のお師匠さんの道鏡慧端禅師の言葉であります。そしたらそのとき岸本君は「うん、そうなんだよなあ、それなんだよなあ」こう言って沈思黙考しておった。実はそのとき岸本君が皮膚ガンであと半年の命だと、こう医者から宣告されておるとは、露ほども知らなかった。自分は仏教学者であり、彼は宗教学者だ。生死の問題というのは常に論文の片隅に据えられておって、生死というものをひとつの対象として論文を書き語ってもきた。しかしそれは常に学術研究の対象として、それを眺め語っておったのである。しかし私が「一大事とは今日只今のことなり」という言葉があるね、と岸本君に語った時に、岸本君はまさに今日只今、その一大事の最中におったということを自分は知らなかった。学術研究の対象としてではなく、まさに自己自身の生死を、一大事として抱えておるとは露ほども知らなかった。誠に恥ずかしいことであった」
 こういう序文を書いておられるんであります。まさにこの人生の一大事とは、生きるか死ぬかということでありましょう。学習塾があったほうがいいか、ないほうがいいか?というようなら、それは賛否両論、分かれるでしょう。分かれるっていうことは、それは人生の一大事ではないからでしょう。しかし呼吸をしたほうがいいか、しないほうがいいかといえば分かれるはずがない。呼吸をすれば生きておられるし、やめてしまえば死ぬ。それは大変だ。生死こそまさに人生の一大事であるはずであります。 次号に続く


(・・・次号へつづく)


次号は平成27年7月13日頃より2ヶ月間掲載予定です。