「不二」 過去の記事  【紹介期間:平成27年7月1日〜8月1日】

 掲載号等  【第49号】:平成4年10月31日  

 河野太通老師
 祥福僧堂師家 【掲載当時】
 
 禅の生死観(その1)
 第22回 実践布教研究会より青年僧の課題
 
 皆さん御存じの「まちぼうけ」という歌がございます。北原白秋さんが詩を作って、山田耕筰さんが作曲したという例の「まちぼうけ」という、子供の時から我々も親しんだ歌でありますが、この「まちぽうけ」という歌を身振るいする様な凄い歌だとおっしゃった方があります。経営学の神様と言われた坂本藤良さんという方で、経済に携わる方ですと大抵御存じの方なんだそうであります。


 私はこの方の事をどうして知ったかと言いますと、三、四年前に文芸春秋という雑誌をペラペラと見ておりましたら、この方の亡くなる直前の日記が掲載されておりました。それで知ったんであります。


この方は戦後やっと、その混乱が治まりつつあり食料も出回ってまいりました昭和三十年に政府が経済白書というものを出しまして、その時に戦後は終わったということが宣言された。これは皆さん方ご記憶にある事だと思うのであります。それから二年いたしまして、昭和三十二年に神武景気というのがやって来ております。そして次の年の昭和三十三年にこの坂本藤良さんが『経営学入門』という本を出された。これが爆発的に売れまして、経営学ブームというものが興ったんだそうであります。そして人々から経営学の神様と称せられた。しかし皮肉なことに自分が経営しておられた会社が倒産したという事で世間の話題になった。しかし後に立ち直りまして、こんどはビジネススクールを開かれて、そして評論家としても活躍されたんであります。そして還暦を迎えられました昭和六十一年九月十五日には肺ガンになってこの世を去っておられる。


その日記を見ますと、亡くなる丁度六ヶ月前の三月の十四日、自分が校長をなさっておる日本ビジネススクールという学校の卒業式が行われた。しかしその時には、もう既に肺ガン症状も末期状態で、本格的な最後の治療を四、五日遅らして貰い、「とにかく自分にとってはこのビジネススクールに出席する最後の卒業式になるであろうから」と、お医者さんが止めるのも振り切りまして、強引に出席なさる。そして校長として卒業生達に挨拶をなさった。その挨拶の文章を紹介します。


「皆さんご卒業おめでとう。私は入院している病院から駆けつけたのです。セキがひどい、だから話が出来るかどうか判らない、どうしても話せなくなったら中断します。でも私はどうしても最後にもう一度諸君に会いたかった。皆さんにお会いするのもこれが最後かもしれない。二言だけ皆さんに考えて貰いたい事を言いましょう。【少年老い易く、学成り難し】という中国の詩があります。この詩は、私は若い頃は嫌いだったのです。お説教じみているから、ところが今になって、私はこの言葉の凄さが解るのです。この詩の最後は[未だ醒めず池塘春草の夢階前の梧葉既に秋声]池の周りには青々と草が生えている。人がその夢から醒めないのに、階段にある青桐の葉は、もう枯れ葉になっている。秋になってしまっているのだ。凄い光景ですね。同じような凄い詩を書いた人に、日本の北原白秋がいる。



[まちぼうけ]という童謡です。百姓がせっせと畑仕事をしていたら、兎が飛出して来て木の切り株にぶつかった。それを見た百姓は、畑仕事を止めて切り株の所で兎を待つのです。でも兎はもう来ない。[まちぼうけ]というわけです。この詩の最後の節が凄いと、私は思うのです。あたり一面が荒れ地になって草茫々、そこにまだ百姓は、切り株の所で兎を待っている。さっきの中国の詩と同じですね。
皆さん、私が皆さんに言いたい事はこうです。皆さんは今青春の真只中にいる。そしてその青春がまだ続くように錯覚しているのです。しかしそうじゃない、そうじゃなかったことが、今の私には良くわかる。あっという間に老年になるのです。今の時間は実に貴重なのです。どうか今という時がどんなに大事かということをわかっていただきたい。(中略)
これが私か皆さんに言いたかった事です。皆さんと我々が、こうして一堂に集まるのは今日限りです。明日からはそれぞれの道を歩むのです。どうか幸せで、より良い若い時を送って下さい。[少年老い易し]これを花向けの言葉として、私の挨拶を終わります。皆さん、さようなら」
こういう卒業式のご挨拶をなさったのであります。そして日記が更に続いておりますが。「不思議な事に、この間セキが出なかった、声もはっきりして張りがあった。涙をながしている学生がいた。寒い日になった。小雨が一時雪に変わった。謝恩会には出ずに、心を残して病院に戻る」と、こういうことなんであります。そしてこの半年後の九月十五日に、ついにこの世から去られた訳であります。
一時は経営の神様とも言われながら、自らの会社が倒産する。しかしそれからまた立ち上がってビジネススクール、そしてま評論にと活躍するんでありますが、肺ガンを患って、このような言葉を後輩への花むけとして逝ったというわけなんですね。


この坂本さんがおっしゃいます様に、我々は若い頃は、何時かは死ぬんだという事が頭では解っておるけれども、それが何時であるということが実感出来ない。若い頃だけじゃありませんね。健康であればある程、この死というものが実感として体に迫って来ない。しかし体が不自由になったり、病になったり、何か越すに越されん様な難関にぶち当たった時に、不幸だけれどもそこでやっと気がつく。これも一つの、人間のこの身の内に既に内在されている智慧であろうと思うんです。なるべくならそういう不幸な不治の病とか、不幸な目に会う以前に気がつくべきである。けれども、なかなか気がつかない。しかし悲しい目にあうってことは嫌だけれども、それきりじゃない、ちやんと内からそれを乗り越える智慧が出て来る。これは有り難いことだなと思うんであります。


十一世紀後半の中国の人で兜卒和尚という和尚が、お弟子さん達に常に問題として投げかけた三つの問題がございます。これを『兜卒の三関』と言っております。これは我々臨済禅を学ぶ者達は坐禅の問題として、与えられるわけですから我々臨済宗の僧は、周知の問題でありますが、臨済僧のみならず、誰しもが乗り越えなければならない人生の問題であります。


この一つが、『即今上人の性甚の処にか在る』と、今まことのあなたは何処に居りますか?
あなたの本来の心、本当の自分というものは何処に在るんですか?これが第一関でありま
す。


そして第二関、真の自分というものが解かれば『眼光落つる時作麼生か脱せん』この眼の輝きが失われ、いよいよ死ぬという時です。いよいよ死ぬという時に、どの様にこの生死から脱却するか、死ぬ時の覚悟は出来ておるか。これが第二関であります。
第三番目の関門は、『四大分離して何れの所に向かってか去る』四大分離すなわち死ぬこの肉体を失って、死んで何処に行くのか。これが第三関であります。


この肉体はせいぜい百年ももちません。しかし本来の自己というものは、そのようなものであるのか、どうか。その本当の自分というものが解ったならば、今死ぬという時にその覚悟が出来るはずだが、どう死を乗り越えるか。そして、死んで何処に行くのか。こういう問いかけを、お弟子さん達に常にしたというんであります。

ソクラテスも「汝自らを知れ」ということを言っておりますが、自己が人生を歩んでおるんですからその自己を知らなければ、何事も人生の根本は解決しない。ですから一番最初に第一関として、本来の自己というものはどういうものであるか、という問いかけから始まっておるのです。
こういう問いに改めてぶつかりますと、今更の如くこれは大変大事なことだと思うのでありますが、常日頃はそういう問題からは遠ざかって眼前に展開する風景、事柄、それに追われ追われて、遂に死期を迎えるというようなことが普通のあり方であります。ですから常に根本的な問題っていうものを誰かが問う。誰かが問わなければ、自らが自らに問うということがないと、何時かは、何れは死ぬんでありますから、死を控えておる人生としては片手落ちというか、漫然なものにどうしてもなってしまう。死を問うことは哀れな、情けない嫌な事でありますけれども、それがなければ人生は深まらない。


『麁冫食は飽き易く細嚼は飢え難し』という禅語がありますけれども、粗食な大根人参だけの食事というのはすぐ飽いてしまう、すぐ嫌になってしまう。しかしそういう粗末な物をよーく咬んで咬みしめれば、その方が実は慈味があるんだという言葉でありますが、死というものも正にそういうものであると思うんですね。


(・・・次号へつづく)


次号は平成27年7月6日より1ヶ月間掲載予定です。